人生も50年生きると、自分にとって格上で、絶対的で、そこに当然に存在していた人が、1人2人と亡くなっていくのに、寂しい思いをすることが多くなります。

 最近では特に、藤田まことさん(剣客商売が好きでした)や、E Street Band の Clarence Clemons の時はたいへん残念に思いましたが、先週はついに父が亡くなってしまいました。

 重度の認知症にかかっていて、晩年は意思疎通の類いはほぼ皆無でしたので、逆に従前から少しずつ気持ちの準備ができた点では、まだ救われていたのだとは思います。
 またそのような父を、最後までケアしていただいた施設関係の皆さま方に、深く感謝をしています。

 

 ゴルフのHCPが最高で4だったとか、調理師免許も取ったことがあって料理が上手だったとか、絵や習字も上手だったとか、自分にとって超えられない点の多い父でした。

 特に凄いと思っているのは、繊維関係やゴルフ関係の営業や飲食店経営を始め、生涯でたぶん10回以上は職を変えても逞しく生きてきたこと、最後の着付用小物の製造販売(自営)では、認知で仕事ができなくなる80歳近くまで、土日等の休みも取ることなく働き続けていたことです。

 自分はといえば、「役所という安定した職場を辞めて、どうして自営なんぞに・・・」などと、それこそ10人に聞けば9人くらいから言われるのですが(汗)、それは職業観の違いなのだと思いますし、こういう選択をしたのも、やはり『働けば年金無しでも生きていける(注:施設に入るまでの話しです)』ことを体現していた父の影響も小さくないのだと思います。

 今でも『父のように生きればいいんだ』と、そう思っています(楽天的かもですが(-_-;)


 

 楽しかった思い出は尽きないのですが、特に思い出すのは、従姉妹の結婚式で香川に行った時に、一緒に金比羅さんに登ったこと、また、母には内緒にして(苦笑)よくゴルフに行ってたことでしょうか・・・

 親子って、育てるとか教育するとかって段階を過ぎれば、最も親しい友人関係になるんじゃないかと、そんな感じさえした、最も楽しい時期でもありました。

 

 そんな父の、お棺で一緒に燃やす写真を整理していた中に、「このドヤ顔は親父らしいねぇ~」って姉にウケてた写真があります。

 もう40年以上?前、御所CC(徳島県上板町)で働いていた時に、ローラ・ボーというアメリカの人気女子プロゴルファー(当時はCMにも出ていました)と、オープニングセレモニーだかに来てくれた際に接点があったらしく、その時期の“あり得ない!!”2ショットです。
(なぜか群馬県・・・単なるお供だったのか、キャディーやってたのかまでは不明です)。

 そのまま燃やしてしまうのがもったいなくて、昭和1桁生まれの父の勤勉さを忘れない意味も含め、このサイトに飾ることにしました。

親父~2ショットどやーの図

2ショット (`^´) ドヤッ!の図

 ではまた、このような私的な記事に、最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。