今年の大河「軍師官兵衛」もいよいよ大詰め、楽しく見させていただいてます。

 若干惜しいのは、劇中で「稀代の軍師」と幾度も表現されるにもかかわらず、官兵衛が知略を駆使したのは「高松城水攻め」や「中国大返し」あたりがピークで、秀吉が天下人になって以降は、小田原攻めのように数で押し切れちゃうもんだから、軍略家としての見せ場がなくなっちゃったところでしょうか。

 別にドラマの批判ではなく、ちょうど国内に敵がいなくなった時期だからしょうがないんですけど、でも最後の九州席巻は見せてくれそうで期待しています!

 

 官兵衛はもちろん最高ですし、準主役・脇役の方の名演も印象深いです。
 個人的には特に、黒田職隆、小寺政職、宇喜多直家、荒木村重、家康と秀吉あたりが …

 岡田准一さんのインタビューだと、「(有岡城幽閉までは)演技が物足りないって言われることを甘んじて受けるつもりで、敢えて青年ぽく演じて、その分(有岡城から)出た後に噴出させた!」みたいなことおっしゃってましたが、いやはや演技も策士です。

 

 さて、官兵衛についていろいろ読んでみると、官兵衛語録は名言の宝庫だと分かります。
 個人的に特に印象深いのは次の3つです!

 その職にふさわしくない者はすぐに処分したりするが、よく考えてみると、その役を十分に務めてくれるだろうと見たのはその主だ。
 目利き違いなのだから、主の罪は臣下よりもなお重い。

 私は以前から、企業の社員や行政の職員が不祥事を起こしたときに、そのトップが記者会見で並んで頭を下げる、いかにも日本的な謝罪シーンには違和感を感じることが多いです。

 『ツイてないなぁ・・会見、早く終わってくれんかしらん。』て、心の声が聞こえて来るようでもあります(笑)

 もちろん、代表者としての責任が全く無いとは思いませんが、組織が大きい場合、顔も見知っていない、名前も初めて聞くような部下に関して責任を問うのは、現実的には少々酷ではないかなぁとも思ったり …

 現代におきかえると、「採用や人事(配属)に直接携わる方の責任が一番重いのですよ!」って聞こえますね。

 

 人間には必ず相口(あいくち)、不相口というのがある。
 相口というのは、他人の心をよく知ってそれに合わせる事だ。
 不相口というのは、逆らって異見を言う者をいう。

 大切なのは不相口であり、相口の者ばかり周りに集めたのでは、決してその者にとっていいことではない。
 不相口の者が言う異見に耳を傾けるべきだ。

 ドラマでも、これに近いことを、千利休が秀吉に一発カマしてましたね。
 「殿下、耳に痛いことを言ってくれる人がいるうちが華ですぞ」と。

 私自身おそらく“不相口”で、出世できないタイプなんですが (^^;『こういう人間も存在価値があるんですね!』と、(この言葉には)救われた心持ちがいたします(爆)

 

 その一方で、黒田家の「家中間善悪之帳」というものが、福岡市博物館に残されているようです。

 これは黒田家の家臣団のうち、誰が誰と“仲良く候”“仲悪しく候”と記されたもので、これを片手に相性の良い者同士を組み合わせて働かせたと言われています。

 家臣団は相性の良い者同士を上手く組み合わせて効率を上げ、主である自分は(自分と相性の悪い)不相口の者の異見にも耳を傾けたという、この切り替えはすごいものです。

 

(死を間近に、家臣に悪態を付きマクっていたのを嫡子・長政に咎められて … )
 これはそちのためにしているのだ。乱心ではない。
 わしが諸臣に嫌がられて、一日も早く長政の代になるとよいと思わせるためだ。

 私はまだその心境になったことはないのですが、人間には後世に名前を残したい、後世の人にもよく思われたいという名声欲があるようで・・・

 例えば独裁者が自らの銅像をあちこちに建立しているみたいな例は世界にもありますけど、あれ、他人が建ててくれてこそ価値がありますよね (^^;

 そんなことはお構いなしに、「あぁ先代が死んでくれてホッとした」と思われることを是と考える官兵衛、なんて大きいんだと、このエピソードはちょっと来ました!

 反面教師ではないのですが、同じ戦国期だと「信玄公の時代はよかった」と発言する重臣と亀裂が入ったまま、長篠に突入した武田勝頼が思い出されるのですが、先代が偉大すぎると(2代目は)やりにくいことを踏まえて、ここまで考えて死んでいく先代もそうはいませんよね。

 

 ではまた、ご訪問ありがとうございました (^^)/